器用ではなく不器用?
起立! 着席! 礼!
好きな バナナは 食べ物 です!
YUI-Radioやタイヨウのウタをみてると、どぉもYUIさんの天然っぽいイメージがぬぐえない。
RadioやTVのトークでは、シャイな感じで、礼儀正しく素朴な子といったイメージである。
だけど、一度ギター片手に歌う始めればまるで別人、そこには紛れもなくアーティストとしてのYUIがそこにいる。
Radioの方をきいてるとよくわかるんですけど、普通にお話するときは「ハスキー」な感じの声といった印象。
アーティストというと、日常においての話すことや感情表現が苦手ゆえに「音楽」「歌」での代弁によって気持ちを伝達する。
外側にではなく、自分の中、内側に感情をほりさげてゆき、内に秘めた感情を爆発させる。
アーティストという人種は、「器用」であるというよりもむしろ「不器用」な人種なのではないだろうか?
「器用」に自分の気持ちを言葉にだして、伝えることができれば「歌」や「音楽」にそれをもとめなくてもいいのかもしれない。
「平凡」というのは、日常で必要とされている能力を極平均的に有するアベレージヒッター的なものであるとすれば、
「非凡」というのは、その中で何かが欠落している。その欠落があるからこそ、それ以外の能力が輝くのかもしれない。
アベレージヒッターというよりは、一発逆転のホームランバッターといったところか。
そもそも何がいいたかったというと、YUIが僕自身のイメージするアーティストという形にうまく当てはまっているということをいいたかっただけ。そう、ただそれだけのこと。
YUI RADIOはコチラ から
またハートに火は・・・・
3月7日は,正午から「またハートに火をつけろ」の当選発表の日。ルシエルに加入していない身としては,ありがたいルシエルネット。ルシエルネットには,先行予約において非常にお世話になっていましたが・・・今回。
ラルクの人気!福岡の競争率!土日の競争率!
すみません…すべてなめてかかってました・・・よどみなく。
残念ながら…2箇所申し込んで共に外れという悲しい結果に。
当初の予定では,来年度からの予定がまだわからないので夏季休暇となる日程付近をということで「福岡サンパレス2デイズ」に照準を合わせていたのですが…残念ながら・・・外れ。うん・・・なんど照会してみても外れは・・・外れでしかない。
夏季休暇が重なることから,九州観光でものんびりしようかと想っていたのに…。
当選された方は,ぜひ楽しんできてくださいね。
そして,今夜はなぜか研究室にお泊り(><)何してるんやろうか?
一人夜中に垂れ流す曲は,YUIのGoodbyeDaysです。
先日レンタルビデオで「タイヨウのウタ」をレンタルしました。
YUIが主演ということで,以前から気になっていました♪今週末にゆっくりみよう♪
そういえばYUIの2ndアルバムも発売決定したとのことで,1stがめちゃくちゃよかったので2ndにも期待してます♪
シングルだけでも「GoodbyeDays」「I remember you」「rolling star」「Che・r・ry」と既に盛りだくさん楽しみ。
プラスマイナスゼロ
自分の中にあるモノを綴るという習慣が生活の中においてどんどん欠如してくると、文章を描くこと自体に昔の様に抵抗がでてくる。不思議なもので、言葉を綴りだせば際限なく、またそれを止めてしまえば際限が無い。習慣とは恐るべきモノ。
これからまたできるだけ更新をしていきたいと想います。(描くことがあればいいんだけど・・・)
もう三月に入りました。
卒研発表が終わってから、すぐに体調を崩し一週間ほど病床生活を余儀なくされた。
何をするわけではなく、深く深く眠り心身を休めることを欲していたのでしょうか。
終わってしまえば、どうってこと無かった・・・心此処にあらずとはよくいったものだ。
どんなことでも過ぎてしまえばそこにリアリティであるとか意味は薄れる。
結局足りない昨日に想いを馳せるよりも、今を。
はじめからそういうことは、わかっていても一瞬一瞬の出来事に喜怒哀楽する、それもまた人の性。
何事にも自分なりの位置付けであるとか、意味を付加していく事もまた大切な作業だろう。
3月が去ればすぐに4月がやってくる。
たった1ヶ月の違いだろうけど…いろんな意味できっと激的変化のみられる一ヶ月になるんだろうと想っています。
今は、期待や不安はもちろんあるけれど、むしろ2006年という一年間の位置付け!
これがなかなか難しいなぁなんて想っている。収支プラスマイナスゼロってところかな?
希望の数だけ絶望だけ増える
それでも明日に胸は震える
どんなことが起こるんだろう?
想像してみるんだよ
明日を信じないければ裏切られることもない
希望も増えなければ絶望も増えない
誰も傷つかないし傷つけもしない
プラスもなければマイナスもない世界
収支の結果としてプラスマイナスゼロである方が少なからず有意義なのは確か。
けれど明日を信じないことというのは、期待するということと同値なのかもしれない。