ありがとう 離れてても 側に居ても 全てのあなたへ
昔ある人が言った
「高校より中学時代の方が楽しかったよ!」と。
不思議なものでどうしてか人は、過去に思い馳せる。決して今が嫌いなわけじゃない。けれど、人は過去を美化する傾向にある。
昔ある人が言った
「大学より高校時代の方が楽しかったよ!」と。
どうしてこういう思いに襲われるんだろう?
「時間の流れ方」が年を重ねるたびに加速してゆくのはどうしてなのか?
小学校の6年間は、あんなにも長く果てしなく、濃密なものだったのに・・・。
純粋無垢だった当時の自分は、きっと「隙間のない生活」をおくっていたのかもしれない。どんなことに対しても100%の力で、真正面から向かうひたむきさ?!みたいなものがあったからこそ「濃密な時間」を感じていたのかもしれない。
年を重ねるごとに、人は知恵を身につける代償として純粋無垢だった頃の心を失う。
知らぬ間に人は、取捨選択をするようになる。数え切れない失った時間・可能性。
そこには、「隙間」が生じてくるのかもしれない。
3月26日をもって4年間の大学生活が終わった。
ほんっと言葉通りあっという間に、過ぎ去ってしまったというのが正直なところ。
きっとたくさんの何かを手に入れて、またたくさんの何かを失った。
卒業式典の会場を出たとき、部活動やサークルなどのたくさんの後輩が先輩の卒業を祝うため待ち構えていた。
サークルなんてものには、所属していない自分は「どこか所在無さを」感じるとともに「羨ましさ」も感じた。
今更サークルにはいっていればよかった!なんてことを言っても手遅れであって、贅沢をいっちゃあいけない。
足りないモノに思いを寄せるよりも今時分の周りにあるモノにありがたさと感謝を感じるべきなんだと思う。
実際なんとなく、滑り込み入った大学であったけれど・・・きっとこれも運命なんだろう。
大学に対して大した思い入れなんてものはもっていないけれど・・・
たくさんの「友人」に恵まれたことには、かけがえのないモノだと思ってる。
大学を卒業するということよりもむしろ、ファミリーのみんなと会う機会も減ってしまうことが残念。
でも時間は、自分で創るもの!であって自然発生的なものじゃない。
本当にあいたいという気持ちがあれば、どんなに忙しくても自ずと時間を創るだろう。
大学で知り合った人もいれば、そうでないところで知り合った人もいる。
たとえ傷つけあってもそのひとりひとりが、ボクにとっての大切な宝物!
みんな違った場所でであと最低2年間、研究をやるわけだけだから、今度会うときが楽しみです♪
嘘や争い期待迷いとか疲れたなら
ここに帰っておいで気休めで一時で構わないさ
ありがとう一つ一つ届けるのは難しくなっても
後ろに続く道を振り返ればそこに糧がある
ありがとう離れてても側に居ても全てのあなたへ
冷めない微熱はまだ七色架かった空へ向かって越えるまで
また、近いうちにあいましょう♪
Strating Over 終わりは始まり!ここからが新しいスタート!
Ready Steady Go!